伊地知季顕さんを偲ぶ 11月28日 堀河勲
物静かな自然体でおつき合いなるも、メンタル面の強さは抜群!

 去る11月8日、享年90歳でお亡くなりになられた伊地知季顕さんについて、飯田代表から、お電話で、追悼文をお願いしたいとの依頼を受けました。
突然の訃報に接し、ただただ呆然となったまま言葉も出ず、「なぜ?なぜ?」と、先日、お元気でお会いしたのにと、驚きでいっぱいでした。
 昨年には、「お過ごし具合」をお聞きしたところ、朝食などはご自分で賄い、夕食は、ご近所でお住いのご家族」が準備して持参され、毎日のように来られていたようです。
 人生100年時代を、豊かなものにするには、ご家族への配慮も気遣ってか?自立するのが賢明で、鎌倉山のバス停近く、「リニューアルされたホーム」が、気に入り入居、「従来のライフプランニング」にこだわらず、「ライフステージ」に合った生き方を選択されたものと推察されます。
 湘現会でお知り合いになってからもうかれこれ10年余で、私が新米世話人の当時から、会うたびに「何か楽しいアイデアがないか」と矢継ぎ早にお話を頂くも、企画には全面OK、必ず参加する旨、励まされ、ケースバイケースで、有難いご意見を頂き、現在に至っております。
 今回、湘現会の会報には限られた字数もあり、至近で、7月31日に、「真夏フェステ」を実施、伊地知さんには、時節柄、お声を掛けていなかったところ、「予定どおりやるのだね?」との念押しがあり、無理をなさらないよう、お答えするも、出席された出来事を掲載しました。
 当日は、小高さんには、体調に少しすぐれないこともあり、予定の時間帯だけにお越しになり、「小噺」をお願いしている旨などは、伊地知さんには、輪郭について少し触れておきました。
 ところが、当日、定刻に現れ、「私にも話す時間」を欲しいと、おっしゃられ、彼が40余年前、「ケニアの新空港建設工事」には、会社から重責を担い派遣され、現地に住み込み、住民との交流を通して、見事に完成、「ケニアと日本の大きな架け橋」の足掛けとなりました。
 もともと「歌を唄おう!」には、しり込み気味でしたので、この10年間、歌ったことを、ほとんど見たことも無く、全く嫌いなのだろうと決めつけていましたが、当日、「ケニアの国民歌」を現地語で、譜面も、歌詞も全く見ず、いかにも本物歌手が歌っているが如く、独特な雰囲気で、参加者も度肝を抜かされ、「想定もしてないハプニング」で大いに湧き拍手喝采でした。
 6月末に、私自身が脳卒中で湘南鎌倉総合病院に、急遽運び込まれ、幸いにも退院、辛うじて開催にまで漕ぎつけていたので、見るに見かね、「盛り上げに大きな支援」をと、たくさんお持ちの隠し芸の一部を披歴され、頼りは良き大先輩と、感激もひとしおでした。
 イベント場所も、料理実習室に移動して、小林先生が、心を込めてお作りになられたカレーライスを、「美味しいね!」と、先生に感謝しているお姿を横目で眺めながら、2011年9月にスタートした「料理講座」を、常連者としてほぼ皆出席、小林先生からも「褒めていただきありがとうございます」と、お応えしていましたが、実に残念なことになりました。
 私ごとは、「好きなことに全力を、得たことを常に出力する」ことをモットーに、しくじりも多く、「奥ゆかしき紳士は、さもありなん」と、いまだには遅巻きになりと、後悔に苛まれるも、「天国に召されてもどうぞ存在感を充分に発揮」されんことをお祈りしつつ、あっさりと見捨てずに、再びお会いできるまで見守って頂きたく切にお願い申し上げます。
                                                               合掌
備考
ケニアに関する伊地知さんの投稿 前編 後編