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府中通信 令和八年午年 河崎啓一
あけましておめでとうございます。今年は午年、私の干支である巳年が去ってゆくと同時に、九度目の年男に向かっての第一歩を踏み出した。
老人ホームに独居している。食って上厠して寝て起きる、日頃の生活は自力でこなす。ほかは安楽椅子に身を託し、オットマンに脚を延ばして瞑目する。瞼の奥に点滅するのは時の流れ、現在過去未来。年男の過ぎしこの一年、何をやったかなあ。
一つは長年の懸案だった古い鉛筆を整理した。友人が写経で使い切った毛筆を亀戸天神で供養したと聞いて、体に電流が走った。ああ、その手があったのか。
小箪笥の引出を開け、平素横目で見て見ぬ振りをしていた小箱を取り出した。中には使い切ってすっかり短くなった鉛筆が十数本入っている。
暫くだったなあ。あらためて芯先を整えた
次に白紙を拡げてそれぞれの文字を書き遺した。「青肌 JIS
HB」といった具合だ。 遺墨を取り終えると、フランス土産のしゃれたチョコレートの空き箱に鉛筆をそろえ、蓋をしてリボンで結んだ。
細工は流流、さて仕上げはどうする。私の入居する施設からほど近い、国立市の谷保天満宮に納めようというのが閃いたアイデアだった。
谷保天満宮は、九〇三年菅原道真が太宰府で逝去したの報に、谷保に配流されていた三男道武公が、尊容を刻み鎮座したのが起こりという、東日本で最古の天神様である。
七月の暑い日、娘に同行を願っていよいよ行動に出た。タクシーを降り、シルバーカーを押しながら小さな森を抜け、本殿に詣でる。そして、少し離れた社務所を訪ねた。毛筆は毛を提供した狸や兎の供養も含まれているというが鉛筆にはない。受け取ってもらえるだろうか。
小箱にいささかのお賽銭を添えて、応対に出た若い男性神官に事情を説明して渡した。神官は押し頂くように受け取って言った。
「お預かり致します。明けてお正月の二十五日、初天神の後にご浄火を焚きご供養させていただきます」
ああ、そんな行事があるのだ、知らなかった。万年筆でもボ_ルペンでも良いんだそうだ。積年の肩の荷が降りて足取りも弾んだ。
さてこの巳年、年男がもう一つ実行したのは久しぶりに新聞を取ったことだ。
女房が発病、入院、治療、六か月のリハビリ、それでも完治せず夫婦で介護付き有料老人ホームに入居した。目まぐるしく変わる生活環境のなか、夜明けとともに押し寄せてくる情報の塊に耐え切れず、ついに新聞を切ったのだった。
月日は容赦なく過ぎていった。花咲き花散り、女房の七回忌も済ましいつの間にか十年の時が経っていた。ふとあのインクの香りが懐かしくなって、一か月を限って契約した。子供の時から身近の存在だった朝日新聞、ページを開けば変わらぬ姿、社説,投稿、漫画、小説、社会記事。
一か月分積みあがったところで天地をひっくり返し、古いところからじっくりと読みつぶしにかかった。それにしても新聞記者というもの、時として己の知性に酔うものか。
白鵬翔さんが日本相撲協会を退職した折の
記事である。新たな道を選んだ白鵬を、
「クレバーで気遣いのできる人」
と、書いて激励している。
私にはクレパーの意味が分からなかった。
もうほとんど日本語化していて分らんほうがおかしいのか。広辞苑にも載っている。意味は[賢い。頭のよい]ならば記事は、
「賢くて気遣いのできる人」
でいいのではないか。
悔し紛れに改めて英和辞典を確認して驚いた。そこに現れた文字は[お利口さん]日本語では書きにくい。新聞記者の叡知が閃く一瞬が伝わってくる。
かくて、新聞の山は一向に減らない。減らなくていい。宝の山だ。宝の山は年を越す。
令和八年午年。私に巡ってくる九度目の年男のスタートだ。
老人ホーム、安楽椅子にもたれて足をオットマンに任せ、西の空を眺める。暮れなずむ雲のかなたで、妻が笑顔で語りかける。
「ねえ、あなた。九度目の年男が来るといくつになるの」
「96に12を加える。簡単な足し算さ」
終わり