手のひら返し(1) ある日の新聞記事 5月3日 飯田朝明
昨年のある日、購読している新聞の祇面に出た「大物東大教授の手のひら返しの謎」という見出しが目に入ってきた。そのそばには、もう少し大きい活字で「憲法学の不都合な史実」という横書きの見出しもあった。この教授とは一体誰だろうと思いながら、記事をすぐに読んだのだが、その人の名は宮澤俊義氏だった。宮澤氏と言えば、学生時代から憲法の権威として知っていた人物だが、私は、これを見てまさかと思わざるを得なかった。
宮澤教授は、東京帝国大学法学部卒業後、天皇機関説で有名な美濃部達吉教授の助手となり、その後、フランス、ドイツ、米国へ留学し、帰国後の1934年同大学法学部の教授となり、美濃部教授の後継者として憲法講座を担当したそうである。そして、旧憲法下においては、批判的合理主義の立場から、独裁制やファシズムのイデオロギーを批判的に分析する論文が多かったが、その一方で大日本帝国憲法の擁護者でもあった。その後、日本は米国との戦争に敗れて、連合国総司令部の統治下に置かれたが、同教授はいつの間にか日本における新憲法の第一人者となっていたのである。
連合国総司令部の実態は米国のマッカーサー司令部と言ってもいいような様相だったが、この新しい権威の前に宮澤教授は戦前の自分の立場を翻したのだ。その言によれば、昭和20年8月すなわち日本敗戦の月に日本に革命が起こったので、国家の基本法である憲法も、これに伴い変革することとなったとし、それに沿った主張をし始めたのである。このことは占領軍に忖度したとしか考えようがないが、行きつく所、天皇の権威まで否定的に解釈し、なんらの実質的な権力を持たず、ただ内閣の指示に従って機械的に文書に「めくら判」を押すだけのロボット的存在であるとまで表現し、その後も、同教授は「手のひら返し」をするように、自分の主義主張を何度も変えて行ったと記事は言っている。(続く)