令和6年1月 1月25日(執筆日) 河崎 啓一
新しい年が明けた。令和6年。元旦6時51分 初日を拝する。本年も佳き年でありますように。
今年は、私もメンバーになっている湘南鎌倉生涯現役の会が創立30周年を迎える。記念式典は1月21日、日取りは前年の9月から決められていた。出席したい、しかし故あって鎌倉から東京府中市に越している。いつの間にか年齢も 94歳、息子の同伴があれば大丈夫と手筈を整えていたものの、道中を考えると、いまひとつ自信がない。
私の逡巡を知ったお仲間3人、Mrs.Sさん、Mr.Mさん、Mr.Kさんのお三方が、入居している施設を訪問して下さった。
「無理するなよ。ここで内祝いをやろう。」1階ロビーで、若い女性ケアマネージャーさんに揃って写真を撮ってもらうと、4階の居室にご案内した。これだけのお客様を迎えるのは初めてである。
「まずはお祝いの皮切りに。」Kさんが立ち上がると、木遣歌「手木」を豊かな声量で朗々と詠じた。そこで紙コップにサイダーを注いで乾杯の後、3人のお客様が肩を並べて「花が咲く日は」を合唱された。花が咲く日は 花が咲く日は いまでも あなたが そばにいる。ホストとしても座しているわけにはいかない。同じように、ひとりぽっちになった淋しさをテーマにした「鎌倉残照」をフルコーラス、老声を絞った。
いずれもアカペラだったが、ここでKさんが最新の機器を出された。手のひらに乗るくらいの小さく軽いスピーカー。スマホから流れるユーチューブの無線をキャッチしてメロディーを流す。無線通信技術の発展に、世間から隔離され私は、ただ驚くばかりだった。
不思議なことが起こった。集まった男性のファーストネームの文字に一,二,三の数字が並んだ。偶然とは思えない。天の配剤に違いない。天は何を配するというのか。トリコロール、3色すみれ、三銃士、三猿、文殊―。まあ「真・善・美」ということによう。だれがどれか。それは日替わりでよいではないか。
もう一つサプライズがあった。Mさんは京都のご出身と聞いて「どちらにお住まいでしたか」と伺った。「千本今出川」。 ポツリと口にされた5文字を耳にして私は仰天した。私が京都で過ごした小中学生のころは、戦争がエスカレートしていた非常時で、外食の楽しみなど遠くなっていた。その中でたった1回だけ、家族そろってすきやき店を訪れたことがあった。その店は父の勤務先に近い西陣にあった。その日、父が先行し、私たちきょうだい4人は母につれられて市電にゆられ、大はしゃぎで降り立った駅が「千本今出川」。後に家族で京都の思い出を語るとき、必ず出てくるのがその名であった。逆に言えば、その五文字の中に私たち一家の京都時代8年のすべてが凝縮されているのであった。
さて、4人の歓談は尽きなかったが、時間が迫った。明示されたわけではないが、老人ホームには自ずからなる制限があった。お開きにした。バス停は施設の真前にある。外は寒いので、玄関のガラス扉の中からお見送りする。遅れ気味にやってきたバスに乗り込まれている三人の方の背に頭を下げた。バスが去ると、並んで立っていたケアマネージャーさんがそっと寄ってきて、「きれいな方ね。女優さんみたい。」と脇腹をつついた。
4階に戻ると、出会った女性スタッフの方が言った。
「見事な声でしたね。隅の部屋まで聞こえましたよ。」 「あっ、ご迷惑でしたか。」「いえ、いえ。部屋の方もびっくりしていましたが、楽しそうに聞いておられましたよ。」
居室に帰る。宴の後の静寂。いつもの一人。おみやげのサブレ―をいただく。鎌倉八幡宮を象徴する鳩。「ポッポー」。山鳩の鳴き声が空耳に淋しい