広島原爆資料館等を見学して(5) 9月14日 安倍精一
(広島平和記念資料館)
通称「広島原爆資料館」を最後に見学した。余り並ぶことなく入場したが、内部は 見学者で一杯であった。しかし、ゆっくりした歩みで丁寧に見学できた。
広島市の被爆前の市街地、多くの市民や学生、小学生など声が聞こえるような情景、それが一瞬にして放射線を浴び、3〜4000度の熱線・熱風により焼かれ、吹き飛ばされた跡の市街地(航空写真)・・・人間が描いたいわゆる地獄絵というようなものでなく、その現実はまさに想像を絶するものであったと思う。
今回の資料館で特に残ったのは、被災した人々の個々の被災前と被災後の姿をヒューマンストーリーのように丹念に追った展示と解説がとても多かったことが印象付けられた。それは大災害というマクロの状況だけでなく、いかに生きていた個々の人間や家族たちに、どんな運命をもたらしたかというミクロの具体的な事実を、私たちは知ることが
できた。
例えば、将来は国立大学の教授になりたいと志し、日記にも記していた少年が、原爆症の発症により、ついにその夢がかなえられなかったこと、また、はじめはリレーのアンカーにあるほど元気で学級の人気者だった少女が被爆のため白血病となり折り鶴を折ながら亡くなったこと(この少女の死後、学校の友人や関係者の努力により「原爆の子の像」が作られ、原爆の犠牲になった子どもたち全員を慰霊することとなった。)など、心痛むことばかりであった。
見学者も、ゆっくりと歩きながら被災者の肖像と4か国語で書かれた説明文を丁寧に見ていた。欧米人も多く、熱心に説明文を読んだり、スマホで写真を撮っていた。
私も、人々と一緒に館内をゆっくりと時間をかけて回った。(続く)
原爆資料館の窓より慰霊碑及び原爆ドームを望む。手前は式典用テント