池子神明社祭礼と海浜軒 7月16日(注) 梶田誠三
昨日実施された駅前低登山の会【池子神明社祭礼拝観と名刹医王山神武寺参拝】の行事は私にとって予想外の展開となりました。集合場所時間は神武寺駅前10:30で予定通りでした。弁当持参とありましたので、上大岡駅改札前のパン屋さんで購入。神武寺辺りで食するのだろうと考えていました。下山後JR東逗子駅近くにある「あづま湯」もお勧めですとありましたので、食後は東逗子駅方面に下るのか、久しぶりだなとの思惑でした。ところが、池子神明社の祭礼・神輿渡御見学を終えると、京急で逗子・葉山に向かうとのこととなりました。郵便局の並びにある「海浜軒」に向う頃には、知らない食事処に関心が移っていましたね。今回の食事処「海浜軒」で連想したのが「松浜軒」でした。
先月の25日(日)の記事・阿房列車の内田百閧フ中に「松浜軒」が登場していたのです。それは熊本県の第2位の都市である八代市にあり、八代と言えば八代海(不知火海)が思い浮かびます。もともと松と海は相性の良い関係にありますが、不知火の海が両者を結び付けておりました。更に本日17日(月)の私の履歴書・建築家の伊東豊雄さんの文中にも「松浜軒」が出て来たのにはビックリしましたね。
内田百閧ニ伊東豊雄さんの松浜軒は同一のものであります。但し、時間的な隔たりはあって、百閧ェ何度も訪ねたのは昭和20年〜30年代で、松浜軒が旅館だった頃。一方の伊東さんが松浜軒に関わったのは、細川護熙熊本知事の時代である。伊東さんが「八代市立博物館・未来の森ミュージアム」の仕事をするに当たって細川知事に挨拶に伺うと「松浜軒とうまく調和する建物を造ってほしい」と頼まれたという。
松浜軒について敷衍しておく。百閧フ文中では、元禄元年(1688)八代城主の松井直之が生母のために建てた別荘だとされ、伊東さんの文では江戸時代に八代城主の松井直之が建造した庭園付きの御茶屋だとされる。
注 投稿日は7/17であるが日付は行事実施日にしている
祭礼風景