ブランド地名と周辺 2月21日 青野正宏

 先週、たまたまTVのバラエティ番組の終わり5分前ほどを見ていたら、上戸彩がもっとも食べたいというタイヤキとして、北鎌倉のタイヤキというものを挙げていた
北鎌倉にタイヤキ屋などあったかなと思っていると、最初近くから見ていた家人が町内(今泉台)の商店街にあると放送していたと言う。タイヤキ屋など気づかなかったし、5000人の街とは言え、こんな辺鄙なところにタイヤキ屋など開業してもやっていけるのかなと思って、TVerで番組を見直してみると確かに町内の商店街(北鎌倉台商店街)に最近奈良から移転してきた店のようである。味に自信があるから場所は関係ないとのこと。
 北鎌倉と言うと誤解されるのではないかと思うが、番組では明月院から自動車道路もあるのに、明月荘傍の階段道を「ハアハア」という吹き出しまで入れて登っていく様子を見せ、ことさら山奥にある店であることを強調していた。大船からの川沿いのルートからは昼間でも1時間に4本ぐらいはバスが通っているが、それではおもしろくないと思ったのだろう。一応番組では今泉台を北鎌倉の一部として見做していたようである。
 今泉台は昭和40年代に鶴岡八幡宮の裏の稜線の向こう側を宅地造成して作った住宅地であるが、当初は元々の地番である今泉の一部として住所表示がなされていた。地域の町内会は「北鎌倉台町内会」と称していた。今泉から独立して新たな町域とするとき、「北鎌倉」という名前にしようとしたが、これに対し北鎌倉駅周辺の町域である「山ノ内」の住民から猛烈なクレームが出て今の「今泉台」に落ち着いた経緯がある。確かにブランド価値が高い「北鎌倉」にあやかろうというのはどうかと思うし、「北鎌倉」になってしまっていたら、この住宅地に行こうとして北鎌倉駅で降りると途方にくれることになろう。「北鎌倉台」という地名にならなかったのも、「山ノ内」の隣に「台」という名の町域があるので、それと紛らわしいからだろうと推測している。しかし、今でも「北鎌倉台商店街」とバス停名に「北鎌倉台」というのは残っている。また、北鎌倉の名を架したものもいくつか町内にある。今泉台の町内ではないが、「北鎌倉の名」を架した店は鎌倉街道常楽寺付近まである。
 一般に、旧鎌倉市内より周辺地域のほうがことさら鎌倉の名を使いたがる。特にマンションの名などがそうである。古くは「鎌倉山」なども旧鎌倉から随分離れている。ところが「鎌倉山」が高級住宅地として認識されると、「鎌倉山」がブランド化し、近くの造成住宅地が「新鎌倉山」などと称している。鎌倉市西のはずれ、「西鎌倉」も旧鎌倉よりも随分離れているが、元々西鎌倉という地名は存在しなかったのでめでたく「西鎌倉」という町域名になっているが、そこの住民に「ニシ鎌倉」でなくて「ニセ鎌倉」だと言われるという自虐ネタを聞いた。
 湘南という地名もブランド力は高いが、だいたい馬入川より東側という認識で、それより西側の平塚あたりが湘南という名を使いたがると思っていたら、湘南の本家はさらに西の大磯と知って認識を改めなければならないと思った。平塚あたりから小田原あたりまで通ずる高速道路は「西湘バイパス」という。これは「西湘南」の略と思えば理解できるが「湘北」という地名はよく理解できない。神奈川県というか相模地域が「湘」という地名で通じるならわかるがそれは聞いたことがない。
 大きな都市の周辺に大きな都市の名の方向を付けた都市名もあるが、どうかと思う。西東京市、北名古屋市、東大阪市、東広島市などである。もっとも東大阪市は、今、朝ドラでやっているようにそれなりに独自ブランド化しているとも言える。なお、北広島市は広島に関係あるけれど広島県にはなく北海道にある。