白山神社と天廣丸  1月15日 青野正宏

近所にこの地区随一の神社である白山神社がある。40年ほど前、この地に引っ越してこの神社を正月に訪れたが、なにも正月らしい雰囲気がなく閑散としていた。かなり古くからある由緒ある神社であるが、特に社務所などはない。ところが現在では、正月に行くと参拝するのに行列ができ、臨時の天幕が張られてお守り、破魔矢なども売られている。自宅の神棚に置く破魔矢は毎年ここで買っている。ここ3年はコロナの影響で中止されているが御神酒、甘酒も振舞われていた。一日だけであるが七五三の祈祷も実施されるようになってきており、だいぶ変わったものだと感じている。

 白山神社は名のとおり、加賀の白山神社の系統であり、鎌倉市内では極楽寺方面にもその名の神社があるが、仏教のxx宗YY派といった宗派とはあまり関係ないのかなと思われる。白山神社で神事があったとき神主は鶴岡八幡宮からきていたようだし(かなり古い記憶なのであいまいだが)、白山神社の御朱印は岩瀬の五社稲荷神社の社務所でもらえるとネットにあった。

 この白山神社の入口に、江戸時代の狂歌師 天廣丸(あめのひろまる)の歌碑(くむ酒は是風流の眼なり月を見るにも花を見るにも)と鎌倉市の文学案内板がある。天廣丸は酒をこよなく愛した狂歌師で、白山神社に隣接するこの地域の豪農磯崎家の出身で墓も磯崎家の墓地のなかにある。寡聞にして狂歌師と言えば太田蜀山人ぐらいしか知らなかったが、それなりに名を遺したので鎌倉市が歌碑を作ったのであろう。東京墨田区にも同じ歌碑があるとのこと。

 白山神社の参道に庚申塔などの石塔が並べていくつか置かれているが、その端に猿田彦の丸い石碑がある。猿田彦の文字も随分崩した字で猿田彦と知っていなければちょっと読めない字である。その下に絵か記号かわからないものが刻印されているが、徳利だと聞いて成程と思った。天廣丸にちなんでいるのであろう。

 ネットで天廣丸を検索したら、すべて本名磯田広吉とある。磯崎家出身なのだから磯崎広吉の誤りではないかと思うが、白山神社にある歌碑の説明版ではさすがに本名磯崎広吉とあった。だれか最初に名前を間違えてネットに載せると皆これを引用するから皆間違える。ネットの記述もあてらならないと思うがどうであろう


白山神社入り口と天廣丸歌碑(左手案内標識右手の石が歌碑)

猿田彦の石塔