私の日本百低名山の体験(山の日に追記)
      22,8,11(作成) 8月13日(発信)    御法川齊

 今日8月11日は《山の日》。この機会にStay Home: 私の日本百低名山の体験(2) 登山流行に乗る! で書き漏らした思い出を纏めてみた。 
この暑熱で、学生時代に仲が良かった4人の卒業記念として登った磐梯山登山を想い出した。
 そこで7年程前に近くの奥様からご主人の遺物として頂いた「深田久弥の日本百名山」全20巻、山と渓谷社1995年発行。No22磐梯山をエアコンを効かせながら見始めた。
でも今では過去の遺物のVHS方式のビデオテープである。よくぞ断捨離せずに残してあったと感謝しつつTVと連動させて動き出した時は感激!流石に解像度が悪く画像は稍ぼやけていたが懐かしい限りでした。
同時に私蔵書「深田久弥山の文庫1日本百名山」朝日新聞社刊 昭和57年7月20日第1刷発行を引き出して読み直した。一節に“弘法清水から急坂を登って山頂に着く。大きな岩がゴロゴロしていて、その間に多勢の登山者の残滓物が散らばっているのは、この名山の頂上のために惜しむべきことであった。”と。
 一方、小生の登山メモによれば昭和37年8月に登山した。“頂上はやはり樹木がなく岩がゴロゴロ。小さな祠があるも粗末にされていた。暑さで皆カッカとするのか?食べ散らかしたゴミくずで山が高くなったのか?と思いたくなる凄さなり。山の宣伝との乖離にガッカリする。赤とんぼが群れて人の行いを見て呆れていた”とある。その頃は未だ小生もゴミ回収の気持が無く回収はしませんでしたが。
 そこでWebで調べた処、福島登高会記事*でも1970年代に入ってゴミ投棄は罪悪と認識され始め清掃登山を40年も継続結果、流石に大幅に減少した。しかし10年前の記事では、未だ草木の陰等に捨てられている場合があるのは残念、と。HCハイキング・クリーンの活動状況に酷似なのは感慨深い。
*当時は山にゴミを捨ててくるのは当たり前と思われた時代で、ゴミを捨てる登山者に罪悪感は無く、県体やインターハイの大会などでも地面を掘ってゴミを埋めていた時代だった。ある年、谷地平湿原に穴を掘り大量のゴミを捨てるのを見た。その異様な風景にあ然とした。いくらゴミを持ち帰ろうと呼び掛けても山からゴミが減ることはなかった。