3月の歩こう会の報告を読んで 3月4日 木暮郁雄
青野さんの報告(秦野戸川公園)を読んで、秦野駅から鶴巻温泉まで2度、歩いたのを思い出しました。2度目は、数年前のことで、特別、書くことはありません。1度目は、高校に入った時で、中学の級友を誘って数人で行きました。70年近くも昔のことでした。東京の外れの
蒲田に住んでいました。当時、秦野(はだの、です)は、タバコの葉の生産が盛んで、駅近くに、葉の研究施設がありました。
新聞には、その昔、弘法大師がこの川の渡し場へ着いた時、(当時、川幅は船で渡るほど広かったようです)丁度、出たところで、大師が「返せ!戻せ!」と叫んでも、船頭は聴く耳持たずだったので、怒り心頭の大師が、錫杖を大地に突いたら、水が無くなってしまった、と。
以後も水は流れず、「水無川」となったとか
注 「3月の歩こう会の報告」は 報告と投稿中 活動報告(歩こう会)の項にあります