的鎌倉案内 鎌倉 川紀行編その1
概説
司馬遼太郎のエッセイだったかうろ覚えであるが、エジプト人の一団が京都を訪れたとき、鴨川にてガイドが「この川は日本で一番エレガントといわれる川です。」と説明したところ、大笑いしたとのことである。一番エレガントかどうかは別にして、彼らにとって川とはナイル川のような大きなものをイメージしており、鴨川のような流れを川と呼ばれるのが可笑しかったということである。それからすると鎌倉の川はまったく、すべて川には値しないということになる。鴨川と比べても川に値するのは、柏尾川ぐらいか。
しかし、それでは何もできないので、できる限り川らしきものについては拾い上げることにする。 鎌倉にどのような川があるか,記述した資料はいくつかあるが、見つけたなかでは、「みたまき」という雑誌に載っていたものが、鎌倉の川に関して最も詳しかった。この資料は川そのものについて解説したものでなく、、川に住む生物の調査記録である。川の名前・位置・長さ等も記載されているが、どこからか(多分鎌倉市の資料)の資料を参照して、調査対象を決めているようである。その原典が記載されていないのでどこから引用したかは不明である。従って二次的な引用であるが、オリジナルの典拠を挙げることができない。
そこで挙げられている川のなかには、これが川か、単なる側溝ではないか、あるいはほとんど暗渠でないかと思われるものも含まれている。と
言いたくなるもの含まれており、公式には川と認定されていないものも多く含まれると思うが
なるべく多くの川について記載したいので、これを利用する。
滑川を除く直接海に流入している川(支流を含む)
滑川及びその支流(下流部分)
滑川及びその支流(上流部分)
柏尾川下流及びその支流(左岸)
柏尾川上流及びその支流(左岸)
柏尾川右岸の川
川に架かる橋はなるべく記載するが、住宅や企業などに渡るため、架けられている私橋については除外する。
1. 豆腐川
豆腐川は材木座東部を流れる川で、川と認定できる部分は400mぐらいである。豆腐川という名の由来は(1)川の傍に豆腐屋が多くあったからという説と(2)東風が吹いたとき、船をこの川に避難させたが、東風がなまって豆腐になったという説がある。どちらが正しいかは知らないが、(2)説のほうが説得力がある気がする。今はとてもボートサイズとしても寄せられるような川幅ではないが、昔はもっと川幅があったということは考えられることではある。
下流より遡行するが、砂浜部分は省略し、河口にもっとも近い豆腐川橋から眺めるのみとする。
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材木座海岸に流れ出ている豆腐川(A)
海岸べりに小さな橋がある。
豆腐川橋より下流方向 |
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海岸沿いの国道に架かる豆腐川橋。(B)
川幅の割には立派な橋である。 |
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豆腐川橋標識 |
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豆腐川橋から上流を望む |
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さらに上流に進むためには、国道から遠回りして市道に回り込む必要がある。(C)
材木座6-4-13付近に片側だけ小さい欄干がある。半分橋といったところか |
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欄干から下流方向を眺めたところ
この欄干までが、開渠である。 |
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材木座6-4-13附近の半分橋から上流方向を眺めたところ。ただの道路で暗渠となっている。この道を進む。 |
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材木座6-11附近まで進むと、豆腐川は側溝として一旦開渠となるが、また、暗渠となるり、道路が突き当たったところで、再び開渠となる。(D)
路はないので、上流方向に進むには回り込まなければならない。 |
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回り込んで上から見下ろしたところ。材木座6-9 弁谷の碑があるあたりから。
ここが、水路としては最上流 |
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弁谷の碑(E)
崇寿寺(北条高時が創建)がこの地にあったとのこと |
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さらに上流方向は弁谷の奥となるが、もうただの排水路とみてよさそう |
豆腐川の流れ