鎌倉橋巡り解説(3) 1月29日 青野正宏
6 古川橋
上河原橋から300mほど南下したところにある橋である。道の両側に欄干があるが、下流側が開渠になっているのに対し上流側が暗渠となって道となっている。
7 乱橋(鎌倉十橋のひとつ)
古川橋から暗渠となっている川の上を歩いていく。240mほど暗渠の上を歩いていくと、暗渠は向福寺の裏で左側の路地に折れ曲がっていく。路地を曲がりながら100mほど進むと小町大路にでる。ここに小さな橋がある。(1月23日の歩こう会では路地を進めばよかったが、道をまっすぐ進んでしまって遠回りしてしまった。)下流側がこれまで通ってきた路地、上流側はわずかな溝となってつづいている。これが乱橋である。小町通の道幅が7m程度あるに対して、川幅は1mあるかないかである。わずかに低い石が置かれていて橋の欄干代わりになっている。これが鎌倉十橋のひとつかと思われるような小さな橋であるが、鎌倉町青年団による橋の由来を示す碑もある。名前の由来はこのあたりで鎌倉幕府軍が新田義貞の軍に敗れて乱れ始めたからと言われているが事実は異なるようである。このあたりは、材木座村と並んで乱橋村と呼ばれていたこともあった。
B 古川
材木座来迎寺あたりから乱橋 古川橋を経て滑川に合流する川である。ほとんどが暗渠でわずかに乱橋の上流にわずかな溝、古川橋より下流で2か所ほど開渠となっているだけであり、滑川への合流も排水溝から水が滑川に流れ込んでいるという程度で、ほとんど川という感覚はない。
古川
注 以前に乱橋を撮影したときと比べると、乱橋上流側に建物ができたのか少し風景が変わっている。
古川橋(上流側)
乱橋(上流側)
乱橋の碑