国道134号線−松と砂浜の道(2)  11月21日  飯田朝明

2 松について
134号線は相模湾岸を通っているので、左側を走るときは左側に、右側を走るときは右側に、日差しにより日々刻々と色や姿を変化させる海がいつもある。また、この道は、「松と砂浜のみち」でもある。
松について、司馬遼太郎は、その著書「この国のかたち」の中で、「日本は、松のくにである。松の諸相のなかでも、磯馴松(そなれまつ)がいちばんいい。松は潮風につよいのである。海風につよいために、日本では古来、海浜に松原をつくって防風林とした。」と書いている。
事実、今私が住んでいる家は海の波打ち際から直線距離で300mほどの所にある、掘ればすぐ砂地が出てくるような海抜20mばかりの高台にあるが、近くには多くの松の古木が立っており、そのほとんどが海からの強風をうまく凌げるように陸方向に傾いた枝を長く伸ばしている。遠方から見ると人が踊っている姿にも似ているが、このような磯馴松の高木が多数見られるのである。これは、鎌倉や逗子の海岸沿いでも同様と思われる。
これに対して、134号線の両側の松は背が低いのである。第二次大戦後に植林されたためか、樹高もあまりなく、確かに枝は陸方向に傾いてはいるものの、目立った磯馴松はないように感じている。
その「松」のつく近隣の地名を調べたところ、茅ヶ崎市には、松林、松風台、赤松町、松浪、松が丘、松尾、若松町とあり、それが突出して多いことが分かった。これらのうち、松林と松尾は旧茅ヶ崎村との合併前の村名でもある。また、この他に常盤町という町もあるが、これも松を連想させる。
そして、西隣の平塚市には松風町、老松町、宮松町が、東隣の藤沢市には鵠沼松ヶ岡があり、横須賀市にも若松町があるが、松が多いはずの鎌倉市や逗子市、葉山町や大磯町には、松のある地名は見当たらない。
このように茅ヶ崎に松のある地名が多く、それと同時に、この近隣には後述する浜や海岸が多い理由について、
@ 茅ヶ崎の海寄りの土地は、相模川河口の砂州により形成されため起伏も少なく、塩分が多くて耕作に適さなかったので、特徴ある地形や田畑に因んだ地名は元々少なかった。
A この地域は、歌舞伎の白浪五人男の一人南郷力丸の里として知られる南湖や関東大震災で隆起して陸続きとなった柳島などの古い地名はあるものの、かつては住む人が少ない所も多かったので、細分化された地名がなかった。
B 明治期以降は京浜方面とのアクセスが良くなり、茅ヶ崎自体や近隣の市町村に工場が増えたことなどから移住者が多くなり、住宅が増加して新しく開けた土地の名称が必要になった。
C 松や浜が目立つことから、これを地名の一部に使用した。
D 以上のことは、平塚市や藤沢市辻堂地区の海沿いの地域も似たような状況と思われる。
と私は思っている。(続く)