「手のひら返し」し、「忖度する」ということ 5月5日 飯田朝明
 「手のひら返し」も「忖度」も相手があって初めて成り立つことであり、「忖度して手のひら返しする」ことがあり、逆に「手のひら返しして忖度する」こともある。また、「手のひら返し」が伴わない「忖度」もあり、某内閣の時に発生したと言われる官庁内部での上層部の意向に「忖度」したとされる事例を記憶している人は多いと思われる。
 私は当初宮澤教授の変節に失望したのであるが、そのうち、同教授は欧米への留学経験もあり元々憲法についての欧米での考え方を理解していたのではないかと考えるようになり、新聞記事に関わらず、教授の変節をもっと肯定的に捉えてもいいように思うようになった。また、それと同時に「手のひら返し」は、日本では実は、昔からよく行われていることだと気付いたのである。
 TV番組の水戸黄門では、黄門一行は旅する先々でいつも「お家乗っ取り」、「公金搾取」、「権力者の横暴」などに出会うが、一行がいわゆる悪者一味と最初は衝突してチャンチャンバラバラが始まるが、ある時点で格さんが出てきて「静まれ静まれ!この紋所が見えないか」と大声を上げて黄門の印籠を高々と上げると、刀を持っていた者すべてが戦いをやめ、ははーっと平伏する。これなどは時の権力者にはみんなが有無を言わず服従するということを意味するので、「手のひら返し」そのものになるのではなかろうか。
 また、昭和20年8月15日に昭和天皇が終戦の詔勅を出すと、それまで「鬼畜米英」、「一億玉砕」と叫んで米艦隊に対し必死の神風機攻撃まで行った民族が、その日を境に「平和国家」、「人権を尊重する民主国家」に変貌して行き、国民の多くが占領軍の意向に従うようになるのである。これを見て、アメリカ人が日本人は豹変すると捉えたとしても、反論の余地はなかろう。
 その他の歴史的事象を見てみると、江戸の幕末期から明治維新にかけては、外国船を打払い鎖国を固守しようとする「尊王攘夷」という言葉が横行したが、これが、ある時から「尊王開国」という言葉へと変化している。
 また、「和魂漢才」は、往時の日本人からすれば、言葉や風俗からもあまり尊敬できない中国人だけれども、文物は優れているので、日本人としての誇りとアイデンティテーは保ちながら、中国のいい所だけ使おうということだろうし、「和魂洋才」は「漢」を「洋」に置き変えて、日本人としての魂を失わずに、進んだ西洋の科学技術だけを取り入れようということだと思うが、これも「手のひら返し」の一つだと見られる。そして、近年でも日本人は外交的な圧力、いわゆる「ガイアツ」に弱いと言われているが、この言葉が出てくるとすぐ反応し、公的予算なども付きやすいという意味で、「手のひら返し」をする誘因となっているのは間違いない。
 日本人にとっては、はなはだ耳が痛いことで、諺どおり「長いものには巻かれろ」ということになろうが、宮澤教授の話は、「手のひら返し」し「忖度する」という、ある意味では卑屈とも言えるが、良く言えば周囲の変化にうまく順応しようとする、概して穏やかな民族の叡智ではないかと私は認めたい気持ちにもなってきた。
これに対し、今進行中のイスラエルとハマス、そしてロシアとウクライナの戦争・戦闘を見ると、自分の方は全部が善で相手側は悪だとして両者譲らず、不倶戴天の敵となっており、戦いの終結点が全く見えない状況にあるが、こういう一神教的な神から与えられたとする民族的な誇りや主義・主張、そのテリトリーを何が何でも守ろうとする頑なな姿勢は、今その是非が問われているのではないかと思えるのである。(完)