御法川さんの投稿文を読んで 11月26日  飯田朝明

 御法川さんの持論が偉い順序は鉱物→植物→動物だということで、私も確かにおっしゃる通りだと思う。事実、我々が住む日本は天照大御神が天の世界を統べる最高神で太陽の神であり、国旗も白地に太陽の赤い円が一つ描かれているだけである。
また、夜になると姿を現す月は、
「月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身一つの秋にはあらねど」 大江千里
「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」 阿倍仲麻呂
というように平安時代にすでに詠まれており、千里の歌の方は百人一首にもなっているが、二首は、秋の寂寥感と望郷の思いを余すことなく表している歌ではなかろうか。
また、江戸時代になると小林一茶は、「名月を取ってくれろと泣く子かな」という俳句を作るなど、川端康成がノーベル賞受賞記念講演で語ったように、月は日本文化の精髄である雪月花の重要な一要素になっている。
このように、日本人が有史以来信奉してきたのは、鉱物の集合体にほかならない太陽と月であり、雪は空から降ってくる水が結晶した物質であり、花の方は植物そのものに違いない。

 先日歩こう会の参加者と一緒に、横浜の本牧山頂公園と三渓園を訪れた。その模様は信田さんがうまくまとめて頂いた文章以上に多言を要しないが、本牧山頂は、なだらかな草原が起伏し、所々に中木が立っていた。眼下には工業施設の向こうに根岸の海を望見でき、青い空には白い雲が流れ、まったく青春ドラマの一コマのような光景が広がっていた。
参加者の一人の女性が「みんな身体がどこか悪いのよ」と言うのを耳にして、そのとおりと頷き、別の女性が、少女の時にこういう所に来たことがあるでしょうと言ったら、「彼と一緒に来たことがあるわ」と聞きもしないことまで教えてくれた。
そして、皆さんは思い思いにおにぎりなどをほう張り、そしてコーヒーだけでなく人によってはビールまで飲み、またソフトクリームを手にしている人もいたが、一様に童心に帰ったようにリラックスしていたようだった。
それ(前述のこと)にしても、こんなことは生きている人間でないとできないことだと、私は思ったのである。