風が吹くまち(下)   9月18日 飯田朝明

 大磯には砂浜から海に広がり出た「照ヶ崎」と呼ばれる大きい磯があって昔からの漁港があったが、その磯浜は埋め立てた埠頭に変わってしまい、今は堤防に囲まれた大磯港になっている。それでも港外の西側には岩礁が残っているが、そこには、毎年5月ころになると緑色の羽根と顔や胸が黄色いアオバトが海水を飲みに丹沢からやって来る。打ち寄せる波しぶきの中で何羽もの鳥が羽ばたくのを望見することができ、その岩礁と波と鳥の組み合わせは良く、観察に来る人も多いので、私は、ここをアオバト岬と呼んだらどうかと思っている。
 また、この「照ヶ崎海岸」と西に向けてゆるやかに曲がっていく、立つ白波がさざ波のように見える   「こゆるぎの浜」は、葉山海岸、七里ヶ浜海岸とともに、日本の渚百選に選ばれている。
港の灯台がある堤防に上ると、相模湾全体が見渡せる。晴れた日に東の方を見ると、房総半島先端の山が薄く見え、手前に三浦半島があり、濃青色の江ノ島もある。目を転じると、西には海抜20メートル前後の松林の砂丘が続き、その向こうには一際高い富士山がそびえている。その左方にはやや低く足柄尾根、そこからかなり盛り上がって神山、駒ケ岳、二子山という箱根山が連なり、さらに十国峠、天城山などの山々が伊豆半島南端へ向けてなだらかに続いている。  そして、遠くの対岸には伊豆大島が横たわっているのだ。
 元日に初日の出を見ようと海岸に行くと、港北側の海域にある兜岩の向こうの水平線から朝日が昇り始め、海面は、さながら水鏡を現出させる。また、富士山から伊豆半島に連なるさまを「西方浄土」にたとえた人もいるが、夕日が沈む頃は雲と空が一体となり茜色に染まって輝くが、この夕映えに故郷が照らし出されるときは素晴らしい眺めになる。その昔、西行法師が、照ヶ崎にほど近い所で、「心なき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠んだのも「むべなるかな」と言うしかない。
 この海岸を洗う黒潮は真っ黒というわけではなく、独特の濃い青色を帯びた海流である。駅北側の坂田山上の公園には「海のいろは日ざしで変る」と書かれた、大磯に住んだ随筆家の高田保直筆の碑が立っており、地元の高校の校歌には「相模の海のあいの深きを」という一節があり、「藍」と「愛」をかけて歌っている。
大磯の海はまた、春夏秋冬色々な種類の魚や貝などの海の幸を提供してきたが、漁船や漁師、素潜りする人も今はほとんどいなくなってしまったのは寂しい限りである。
一方、日本で最初に海水浴場が開設され、海水浴や他のマリンスポーツ、釣りや磯遊び、なぎさ散策などで人々にこよなく親しまれてきた海であり、この風光を愛で、明治期から伊藤博文や吉田茂をはじめとして歴代総理大臣のうちの8人が居を構え、その他多くの著名人が移り住み、また今も住む地としても知られている。

大磯は海の国日本の津々浦々の一つで、湘南の町である。(完)