広島原爆資料館等を見学して(2) 9月11日 安倍精一

(原爆ドーム)
 広島市電の「原爆ドーム前」にて、かなり大勢の人たちと共に下車した。すぐ目の前に、柵を隔てて「原爆ドーム」があった。ここがほぼ原爆の爆心地であったのにも拘わらず、基本的な建物の骨格・外壁は残った。これは「広島産業奨励館」として使われていた。
 解説によると、「1945年8月6日午前8時15分、上空約600mで原爆が炸裂し、爆心地周辺の地表面温度は3000〜4000度に達した。強烈な爆風と熱線により、半径2km以内では頑丈な建物以外は全壊全焼し、一瞬のうちにこの世の地獄と化した。同年12月までの死者は約14万人に達し、後遺症などにより、今なお多くの被爆者が苦しんでいる」という。
 この世紀の惨状を見届けて、世界の人々に、どうだこれを見よ!と屹立して満身創痍の全身をさらしているのが「原爆ドーム」であった。(続く)


原爆ドーム