リモートミーティング記録を見て 5月16日 梶田誠三

先日の日経新聞「文学周遊」欄に葛西善蔵「椎の若葉」が採り上げられていました。
葛西は1919年から4年間、建長寺の塔頭「宝珠院」に住み込んでいました。近くの
茶屋「招寿軒」の娘「おせい」(本名・浅見ハナ)が山の上の寺まで高い石段を上り
下りして朝昼晩の食事を運び、作家の晩酌の相手も務めた由です。出会ったのは
おせいが数え20才の時、葛西より13才年下であった。葛西の家族は郷里・青森に
生活苦もあって別居状態であった。献身的なおせいとの間に2児をもうけたのは
自然の成り行きでしょう。葛西は41歳で早世後、ハナは二人の子を育て92才で
亡くなった。葛西とハナが眠る墓地は回春院にあるという。

今度、建長寺に行く機会があれば、回春院を訪ねてみたいと思っています。