小学唱歌「春の小川」歩く 3月28日 木暮郁雄

 「春の小川の清流を取り戻そう」というパレードが渋谷で
あったという新聞記事を見て、ここを歩きました。十年以上も前の
ことです。
新宿御苑に源を発した「河骨(こうほね)川」が東京湾に注ぐまでの
それほど長くない川筋です。スタートは小田急の代々木八幡駅。
駅の傍に、この唱歌の説明板がありました。
 「春の小川」は、いきなり道路の下に隠れていました。川の名も、
宇田川、渋谷川、古川と変えて東京湾に注いでいました。
・高野辰之が作詞してから、110年以上が経つ。
・東京オリンピックの時、暗渠にした。
・大正時代の写真では、代々木練兵所の近くを流れていた。
・戦後、荒井恵子が歌った「森の水車」の模型が、表参道から
少し外れた小学校にあるというので見に行ってます。道路から
見えました。大きいのが校内にあるとか、
・広重も「隠田の水車」を描いています。
・東京湾に注ぐ少し手前の、私が生まれて育った芝には、母が
「しょげん橋」と言っていた「将監橋」がありました

この隠田川近くの高校に通っていた妹に夜、電話をして
聞いたら、「数m幅の神田川みたいに深い川が流れていた」と。
東京オリンピックの前の頃のことです。

 今、私が住んでいる所から歩いて十数分の所にも、「私の春の
小川」が畑の中の道路際を流れていて、時々、見に出掛けます。