夜と霧の中で 12月30日 山田絢子
私はNHK{こころの時代}の報道がすきで時々みております。先日も「裏・表も人生91歳型破り神父」をみて感動いたしました。
神父様は後藤文雄氏で吉祥寺教会の現役の神父です。ベトナム難民の子供をひきとり、教育し、カンボジアに私費で19校の学校を建設し、今なお子供たちの教育をしている報道でした。
後半はヴィクトール E フランクルの「夜と霧」のお話でした。後藤氏はこの本を3つに区別されている。
1 創造価値
2 体験価値
3 態度価値
私もすぐ本棚から出し何回も読みました。皆様も読まれていると思いますが私なりの感想です。
「愛は人が人として到達できる究極にして最高のものである。究極にして最高のことの意味であると、人はこの世にもはや残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影を思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということ。」
人間は明日の事はわからない。アウシュビッツでは四日間でパン一切れ、切る物も一枚、もちろん入浴などありません。毎日が重労働のみである。過酷な状況の中 フランクル氏は一点の希望を持って生き抜いたのではないかと思う。
さて私達は戦後に生まれ、今のように食品も十分なく、今は毎日あたたかな食事、食べきれない食品 何にもめぐまれています。その中でコロナの流行となり自粛自粛の毎日、老人は外出せず、話はせず、マスクは必ずする。世界中コロナの渦の中、歴史は繰り返すと言いますが
アウシュビッツの死亡者 数百万人
日本の学徒出陣者 2万何千人 戦死者 310万人
コロナの世界中の死者 168万人(12/18)
私たちは今までの過去の大きな犠牲の上に生かされており、今日本史世界史に残るこの時に遭遇していると思う。「なぜ生きるかと知っている者はどのように生きることにも耐える。 ニーチェ」夜と霧の中で数日内に死ぬことがわかっていても「運命に感謝しています。私達をこんなひどい目にあわせてくれた人ですもの」私はこの言葉に大変感動いたしました。
大変とりとめもない書き物で申し訳ございませんでした。私事ですが遠出もできず、鎌倉の中で本年程紅葉の美しさを感じたことはありません。庭の紅葉、山々の紅葉、建長寺の紅葉
1句を “人の世の栄華をしのぶ山もみじ” 失礼致しました。