私的鎌倉案内 踏切編その7
富士スーパ前歩行者用跨線橋
イトーヨーカ堂前、三菱電機前を通る道が突き当たるところに台の富士スーパ前に抜ける歩行者(自転車も押して渡れば可)の跨線橋がある。名称や位置情報は不明である。かなり古い。山崎・長島方面に通勤するには、離山バス停で降りてこの陸橋を渡っていくのが便利であった。
跨線橋遠景
跨線橋通路
小袋谷跨線橋
モノレール下の江ノ島方面に向かう旧有料道路の陸橋が老朽化のため、建て替えられたものである。大船側の新入口が200m近く南東に変わった。また、台側はこれまでモノレール下に沿った道につな勝手いたが、それに加えて長島・手広方面につながるようになった。執筆時点でモノレール下方面はまだ交互通行となっている。
小袋谷跨線橋遠景
下から見る小袋谷跨線橋
下側の橋は北西側歩道
南東側歩道は未完成
田園踏切(大船架道橋) 0.334Km
この踏切は下り線のみの踏切で上り線は高架となっていてガード下を潜るようになっている。なぜ高架となっているかと言えば東海道線との交差を避けるためである。以前は横須賀線とは名ばかりで東京〜大船間は線路を共有していた。そのため、東海道線上りホーム側に乗り入れていたため、横須賀線上りは東海道線下りと交差してしまう。これを避けるため高架となっていたと思われる。従って横須賀線下りのみの踏切であるが、大船駅のすぐ近くのため、電車が大船駅に停まっている間から遮断機が下りており、この踏切前で待たされるストレスは大きい。また、上り線のガード下が狭く、歩行者にとっても車の運転者にとっても非常に通りにくいガード下であった。その後、歩行者用に上り線下に別の道が掘られて多少楽になった。大船から長島や手広方面に向かうにはこの踏切を通らなければならないが、この踏切の先で県道とT字路となっており、この県道の北北西側30m先が東海道線鎌倉踏切、南南東側30m先で長島・手広方面に向かう道のT字路となっており、交通の難所となっている。最近、モノレール下の陸橋架け替えにより、大船方面から直接長島・手広方面に向かう道と繋がり、大分楽になった。
この踏切については、銘板は現在名前の下に一般的な注意事項を書いたアクリル板のようなものでしかない。少し前までは名前と起点からの距離が記してある銘板があった。しかし、他の踏切とは異なり小さくアドレスは記してなかった。従って銘板設置当時のアドレスは不明である。横須賀線の場合、現在は東海道線とは全く別の線路となっているが、以前は東京・大船間が東海道線と共用であったため、起点は大船駅となっている。
この踏切の名称である田園は田園調布から来ている。大正時代、大船にも田園調布のような住宅街を作ろうとして宅地開発を始めた。この計画は頓挫したが、大船の代名詞として田園の名は残っていて、現在でも「田園町内会」、「田園眼科」、「田園印刷」などが存在している。ただ、場所としては現在の芸術館通り周辺を指すと考えて良いと思うが、なぜかなり外れたこの地の踏切に「田園」の名を冠したかはよくわからない。
先日ブラタモリの「田園調布編」を見て「田園」というのは田圃のことではなく、「Garden」の訳と知った。辞書で田園都市を引くとGarden City と出できたので成程と感じた。
田園踏切
田園切標識 小さい 現在なし
田園踏切旧標識拡大
先頭行が消されている。
田園踏切を名称を示すもの
現在はこれしかない。
大船架道橋
大船架道橋歩行者用
大船架道橋標識
小袋谷架線橋より
左 廃線 中 上り 右 下り
鎌倉踏切
46.894Km
台戸部2ノロ
鎌倉市内で唯一の東海道線踏切である。
筆者が鎌倉にきたころ、まだ大船駅は橋上駅ではなく、玉縄地区から大船の中心部に行くには、この踏切を渡る必要があった。車にしてもまだ山崎の陸橋ができていなかつたので、ここの踏切が重要な関所であった。
筆者は当時植木の独身寮に住んでおり、朝食と夕食は寮で提供されるが休日の昼食はなかったので、大船まで良くでかけていた。そのとき、この踏切を渡らなければならなかったが、開かずの踏切とまではいかなくても遮断機が下りている確率が高く、また駅に近いのでその時間が長いのでイライラすることが多かった。
今は大船駅が橋上駅となり、山崎陸橋もあるので、必要性は少々減じているがそれでも重要なポイントであることには変わりはない。
この踏切の特徴として線路が2つに分かれており、真ん中は中之島のようになっている。奥の踏切の遮断機が下りていても真ん中までは進める。その後手前の踏切の遮断機が下りると真ん中の島で閉鎖された状態となることがある。
この踏切の名が鎌倉踏切という名には違和感がある。確かに鎌倉市内ではあるが旧鎌倉市内からは外れているし、横須賀線が旧鎌倉の中心を通っているのにと思う。横須賀線ができる前から命名されていたのであろうか。この踏切のアドレスは、鎌倉市台戸部2ノロとなっている。最後のロはカタカナのロか単なる四角か、多分カタカナだろうなと思うが不明である。鎌倉市とあるからこの銘板は戦後になってから作られたものとわかる。距離は東京駅からであろう
鎌倉踏切
鎌倉道踏切標識旧