鎌倉の庚申塔調査 第4回 西御門他二階堂
            2019年4月18日(木) 晴 青野正宏記

1. 頼朝墓の下白旗神社付近他(参考)

 目的地の西御門に向かうため岐れ路バス停で降りる。頼朝の墓の下まで寄り道し、階段下の顕彰碑や白旗神社裏の忠魂碑を見た。新たに見かけたものとして QRコードを用いた法華堂についての説明板が設置されていた。
 西御門の八雲神社に向かう途中で住宅地の発掘調査をしているところがあった。比較的広い敷地の住宅地で新しく建物を建てる前のお決まりの調査と思われるが2m以上掘り進められていて地層の境界がはっきりと何層にも分かれているのが確認できた。何回も建物が建て直されているためか。発掘成果としてかわらけの断片が数十個並べてあった。

2. 八雲神社境内 3基
 八雲神社境内の銀杏の大木の下に3基ある。右側に市指定有形民俗文化財の標識が建てられている。右から笠塔婆型、舟型、舟型に並んでいるが、「道ばたの信仰」では逆に記載されている。「鎌倉の庚申塔」の記載では現認どおりであり、わざわざ設置場所を交換するというのも考えづらいので、おそらく「道ばたの信仰」で左右の記載ミスであろう。
 右側の笠塔婆型には、上辺の日月、青面金剛の左右の手の持ち物、下辺の三遠は、「道ばたの信仰」の記載どおり。「道ばたの信仰」では右側面に文化五年、左側面に四湘月 とあるが、文化五年とあるのは左側面、右側面は解読不能であった。大きさは70×30とあるが実測すると高さは83 奥行25 笠の部分は46×42 であった。
 中央は舟型でほぼ「道ばたの信仰」記載どおりであったが、鶏の線刻は風化してはっきりとは判断できなかった。また、「正面に4人の姓だけ刻み」とあるが、実際には鈴木、飯島、高木、黒川、高木、黒川 と6人分が刻んであった。同姓分はカウントから除外したのであろうか。さらに、大きさは115×90とあるが、実測は108×47 高さはともかく幅が全くあっていない。
 左側の舟型は、ほぼ「道ばたの信仰」に記載されていることを確認できた。大きさは記載数値が87×42 実測は84×39であるがこれは測り方にもよるであろう。

3. 岐れ路 1基
 庚申塔は道標を兼ねている。頂上に猿があおむけに浮彫にされているのは、「道ばたの信仰」の記載どおりであるが、頭部にあたる面に「えがら天神道」「瑞泉寺一らんてい」「大とうの宮土ろう道」と3行刻み、反対側に「右金沢道」とあるのは逆で、3行刻んであるのは猿の足先の部分で、頭部側に金沢道と刻んである。表に庚申供養塔、右わきに「延享二年」左わきに「十一月十五日」とあるが、後ろ側にあり、右わきは「延享丑二年」と読め、左わきの文字は読めなかった。大きさは60×38×24

 ここで時間切れとなりこの日の調査を終了した