鎌倉の庚申塔調査 第2回 十二所から金沢街道沿い
            2019年1月17日(木) 快晴 岡部美千代記 青野構成補記

 暖かい日差しの中、平田先生・原山・青野・大久保・出口・岡部のCPCメンバーの6人で鎌倉駅に集合、バスに乗車し十二所神社で下車する。本日は11月に歩いたコースの続きを歩く。

1 朝比奈峠入口 3基
 バス停より県道を渡り朝夷奈切通しへ向かう途中左側の崖上に4基の石塔がある。右端の馬頭観音は草陰に隠れよく見えないが他の3基の庚申塔は確認できる。崖の高さがかなりありよじ登るのは危険なため今回は下からの確認のみにする。
 左側は舟形で正面に阿弥陀如来が浮き彫りされた安山岩の庚申塔で、左側面には延宝四年(1676)十一月吉日、右側面には施主十二所二一人と彫られているそうだが確認できなかった。
中央は角柱で正面に青面金剛、右側面に弘化五(1868)二月吉祥日、左側は同じく角柱で正面に「青面金剛」、右側面には蔓延元年(1860)庚申十一月朔日。台座正面に五大堂明王院以下26連名とこの土地の庚申供養に明王院が関与していると「道ばたの信仰」に書かれている。
 新道が開通するまでこの崖は十二社神社から続く山になっていたという。切通しの横浜市側にも何基かの庚申塔があり、かつては市境付近に茶店もあるほど往来の多い道だったので道の出入り口に石塔が立てられたのであろう。

2. 鑪ヶ谷(参考)
 滑川沿いをバス停方向に戻る。左側に鉄の橋がかかっておりその先は鑪ケ谷になっているというので、石塔の調査には関係ないが行ってみる。そこはかなり広い谷戸でかつては畑だったという。周囲の山裾にはヤグラもあるので中世にはお寺が建っていたのかもしれない。
数年前は草木に覆われていたというが今は綺麗に刈り取られ、夫婦らしい人が作業をしていたのでお話を聞いてみると、この土地を買取り畑にしようとしているとのこと。谷の奥には道があり、神武寺の方に行くと思うが途中までしか行けなかったとの事。

3. 延命寺跡 1基
元の道に戻り、川沿いを歩く。明石橋の先、右側の道路脇に卵塔や石塔が空き地に集められている。ここは延命寺跡で卵塔は明王院の僧の墓。川に沿った旧道に面した児童公園の一角となっている。その旧道に面して一基の庚申塔がある。舟形で正面に延命地蔵尊の立像、その右脇に奉造立庚申供養、左脇に正徳二(1712)壬辰二月日、壇正面に村民7人名の末尾に明王院「竜山」の名が刻まれている。これらは「鎌倉の庚申塔」に書かれている記録通りに確認できた。

4.五大明王院参道 1基
 次に明王院参道左側に庚申供養にたてた道標1基ある。正面の「当寺本尊五大明王運慶作」の文字はかなり磨耗しているが、手でなぞるとかろうじて確認できた。
 左右の面の文字もほとんど確認は出来ないが、裏面の「庚申供養」の文字はよく残されている。
この庚申塔の上部には猿が浮き彫りされている。「道ばたの信仰」には三匹の猿が寝そべった姿で浮き彫りされと記され、「鎌倉の庚申塔」には聞か猿のみと記されている。今回の調査でも寝そべった聞か猿のみで、残り二匹は不明だった。

5.梶原谷戸(参考)
 明王院跡の庚申塔調査の後、梶原谷を訪れた。特に「谷戸の記録」の記述と変わったところはなかった。最奥部に梶原井戸と称するものがある

6.稲荷道 2基
 次にいなり道にある庚申塔に向かう。公方屋敷の石碑から胡桃谷の住宅地に向かう途中の右側の崖上に、笠塔婆の庚申塔2基と念仏塔1基ある。
 右側の笠塔婆の庚申塔の前面には六臂の青面金剛像とその足元に二匹の邪鬼、その下に三匹の猿が肉彫りされている。青面金剛像の上には日輪と月輪、左面は二月廿八日 講中立之
右面は確認できず。
 中央の庚申塔は市の指定有形民俗資料となっている。禅定印の阿弥陀如来像が厚肉彫りされ、下辺の台座には聞か猿が彫られている。阿弥陀如来の禅定印像は少なく、果たして阿弥陀か釈迦か断定しにくいが、上辺には種子キリークが刻んであり阿弥陀如来像ではないかとのこと。

7.荏原天神参道 6基
 県道沿いに立つ荏柄天神の赤い鳥居を入った左側に6基の庚申塔がある。「道ばたの信仰」によれば以前の道路工事の際に台座と塔身がバラバラになり積んであったが、昭和40年頃に現状となったがその時に台座と塔身を不揃いのまま組まれたと記されている。この庚申塔の文字は全体的に確認しづらくなっている。

8.関取場跡 1基
関取場跡にも庚申塔が1基ある。ここは覚園寺に向かう旧道になっているので、右面には覚園寺と刻まれた道標、正面にはくっきりと青面金剛と刻まれ、左面は慶応二丙寅十一月、台座には発願者坂ノ下村 村田久四郎(初代の鎌倉の町長)や俣野村、鵠沼村、藤沢宿の六姓名も記されている。

今回の調査はここまでとし、最後に庚申塔の前で記念撮影をした。

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