鎌倉郊外の特徴的な地名                                      青野正宏

 続鎌倉の谷戸の記録において、地域を解説する必要があり地名について調べました。しかし、何丁目や何番地あたりと説明するとどうもピンときません。そのため、いまは公式には使われていない字(あざ)を旧地図より調べ、このあたりはこういう字名だったということを最初に示して字名で解説しました。その過程で感じたことを記載します。旧鎌倉地域は考察の対象外です。
(1) 田畑に関する字が多くある。
まず、「耕地」です。場所により、外、下、中、上、内、谷が頭につきます。この地名は大船、岩瀬、岡本、梶原、常盤、笛田にあります。他に「河内」という地名があります。これを「こうち」と呼ぶとしたらこれも、その中に含めて良いかもしれません。田畑があるところという意味ではこれほどわかりやすい地名はありません。田圃の大きさを表す地名もあります。九反田(常盤)、八反田、三反所(笛田)、八反目(手広)があります。手広の八反目とは少し離れていますが。モノレール近くの倉久保川に架かる橋として八反目橋があります。
(2) 打越という地名
山崎において山崎小学校とモノレール富士見町の中間点の字名、城廻において清泉女学院の北側一帯の字名、字名ではないが、手広交差点から大仏方面に向かうバス路線でトンネルの少し手前の笛田地区に属する場所のバス停名 いずれも打越です。打越の意味は広辞苑を俳句用語他が載っていますが、地名には合いません。インターネットで調べると「谷のふもと」という説がありました。山崎では倉久保川の中流(今は、中流付近は暗渠 あまり谷戸の感はしないがそう言えないことはない。) 、城廻では関谷川の中流、笛田では大塚川の中流であり、どうも谷戸の真ん中付近という感じです。
(3) 戸部という地名
戸部という字は岡本、台、小袋谷にあります。耕地、打越というように同じ名がバラバラにあるのでなく、柏尾川戸部橋付近に集中してあります。戸部橋の玉縄側には戸部会館という自治会の会館があります。今の大船行政センターのバス停名は、以前は郵便局前、その前は戸部でした。つまり、戸部橋を中心とした一帯が大きく戸部と呼ばれる地域を指しているようです。また、柏尾川は別名戸部川とも呼ばれているようです。これはなにか、戸部と言うひとつの大字単位に近い地域が、3つの大字によって分割占領されているようなイメージです。


(4) 山ノ内の字の特徴
東管領屋敷、西管領屋敷、藤源治、巨福山、瑞鹿山 などなんとなく文化・歴史を感じさせる小字名は山ノ内に集中しています。山ノ内は地勢上や行政上の括りからも大船の一地区でありますが、歴史的にもブランド価値からも旧鎌倉の一部と考えたほうがよさそうです。
(5) 腰越・津の区分
現在の七里ガ浜・東七里ガ浜・津西・西鎌倉と鎌倉山の一部は腰越・津から独立した地区で、これらの地区および現在の腰越1丁目から4丁目までは住所表示が整備されています。現在の津と住所表示が整備されていない腰越地区との区別は複雑怪奇で事実上分離が困難です。昭和29年の地図を見ると、他の地区では小字の領域がはっきり示されているのに対し、腰越・津はいくつかの地域毎には地名を4〜5個縦書きに並べ、その上にツまたはコの文字が記載されています。地図で表すのは不可能というようです。

腰越・津の地名例 昭和29年12月測図 鎌倉市