私の鎌倉探索 踏切編その1
 鎌倉のガイド本では、寺、神社、飲食店、ハイキングコースなどの観点から多くの案内が出ている。鎌倉に長年住んでいると言っても、素人がいまさら、これらのことについて、ブログなど書いても、何番煎じになるか、単なるあちらこちらの資料の引き写しになってしまう。そこで、既存のガイド本やブログなどであまり(まったくかどうかは知らないが)取り上げていない観点から鎌倉探索の記録を試みた。もっときちっと考証すれば、正確なことがわかるかもしれないが、そこまでする気はないので、わからないところは想像で疑問形の形で記載している。

 まず、踏切という観点から取り上げてみる。勘定して見ると鎌倉市内にはJRだけで20の踏切があり、約300mにひとつ踏切があることになる。江ノ電になるとカウントの仕方にもよるが50前後の踏切がある。比較する材料がないのではっきりしたことはわからないが、面積あたりの踏切の密度としては、有数のものではなかろうか。
 横須賀線の踏切には、原則幅80cm程度の標識がある。基本的に踏切の傍らに線路を向いて立てられててる。標識のスタイルは鎌倉市内のほぼ同一なので、旧国鉄として全国的に同一かと思っていた。しかし、インターネットで全国の踏切の看板を見るといろいろな形式があるので、同一形式に統一されているわけではなさそうだがが、この付近のJR踏切には、最上段に踏切の名称、次に起点となる場所からの距離、踏切のアドレスとなっている。横須賀線の場合、大船駅を起点とした距離となっている。現在は、横須賀線と東海道線は別々の路線となっているが、以前は東京・大船間を東海道線と共用していた。だから独立した線路の最初である大船を起点にしたのであろう。
 踏切のアドレスの表示形式は大字小字プラス番地、大字プラス番地、小字プラス番地など表示形式はバラバラである。逗子市内の踏切には、新しい住居表示である町域名・丁目・番地・番の形式で書かれたものも存在する。(例 新宿踏切 久木4-13-3) 踏切ができたときと踏切の名称ができたときは一致するかもしれないが、標識ができた時期はバラバラなのではないかと思われる。最近、いくつかの踏切で標識が新しくなっていた。古い標識のままのところもあるので、今は過渡期かもしれない。

名越坂踏切 6.031Km 大町1975
 逗子と鎌倉との間の名越トンネルは上下線別々のトンネルで通っているため、このトンネルの前後で線路が少し離れている。名越坂踏切もその影響で、上下線の間が少し離れているため、踏切の長さは少々長い。大町5丁目は横須賀線によりほぼ等分に、南北に分断されているが、その南北を結ぶものがこの名越坂踏切である。というよりもこの名越坂踏切を越えないと大町5丁目北部からは外に出られない。大町5丁目北部は戦後になってから宅地造成されたものである。従って、この踏切は戦後になってからできたものかと思っていたら、明治時代の地図を見ても存在しているようである。鎌倉南部からこの踏切、名越切通を通って逗子に抜ける道が記載されている。現在でも、名越切通の道として残っており、その途中に横須賀線が見下ろせる箇所があり、撮り鉄の撮影ポイントになっているのであろうなと思われる。この踏切が封鎖されたら、歩いて逗子方面に出る道は残されていることにはなる。


名越坂踏切 名越坂踏切標識
名越切通の道から横須賀線下りを
見下ろす。
名越坂踏切の手前で上下線が
分かれる。

名越踏切 4.390Km  大町2193

 鎌倉旧市街を横断し、逗子市街中心方面に向かう県道311号線にかかる踏切である。この踏切より鎌倉方面へは県道311号線は横須賀線の北側に移る。横須賀線南側、名越坂踏切近くに鎌倉五名水のひとつ、日蓮乞水がある。このあたりを起点にしてドブ川が横須賀線に並行して西側に流れ、名越踏切の傍で線路の下を潜って北側に流れ、安国論寺の前で暗渠となって東に流れ、県道311号線三枚橋付近で逆川に合流する。日蓮乞水、長勝寺、安国論寺など、日蓮関係が多いためか、この川を日蓮川と呼んでいる資料もあるが、認知された名前かどうかは定かでない。逆川は北に向かって流れているところがあるからその名がついているが、この日蓮?川は線路を越えて北側に流れているから、逆さに流れているイメージが強い。

名越踏切 名坂踏切標識