石原谷戸と桐谷戸

 9時30分に大船駅に集合し、西口バスセンターより関谷インターまでバスで移動する。関谷インターの北側、県道沿いに石原谷戸があるので、この谷戸に向かう。谷戸の入口、ちょうど関谷インターの真下に、道祖神が祀られていて目をひく。近くの別の場所から移されて、新しい柵の中にしっかり設置されている。
石原谷戸の住宅は、落合家が占めているので、別名落合谷戸とも言う。この内の一軒に数人の人がちょうど庭でお茶休憩していたので、いろいろ話を伺う。この谷戸の本家はつぶれてしまったので、話を聞いた落合家がこの谷戸のなかでもっとも古い家であるとのこと。「ふるや」とか「にいや」とか屋号で呼んでいる。この谷戸の奥に溜池があることを地図上に記載されているので聞いてみると、谷戸の水田のための溜池であり、この谷戸全体共有で管理していたが、戦後米軍が接収し、返還されたときに鎌倉市に返還したとのこと。池が枯れていると以前に確認していたので、その点について聞いてみると、この池で子供が溺死したことがあり、また水田もなくなり、畑になってしまったので必要なくなり、水を抜いたとのこと。家の裏の山の上にあった墓は谷戸の奥に移したとのこと。

石原谷戸へと進む 石原谷戸旧家、庭先で休憩中の人に
いろいろと話を聞く。

 谷戸の奥に進む。奥に向かって道の左側は関谷インターから関谷の農園地帯を経て横浜市に進む県道が嵩高く作られていて谷戸が1/3ぐらいつぶされている状態であるが、右側は昔ながらの畑が続いている。予想したより広かった。一番奥まで進み、山の中に入ると池の跡がある。かなり高い堤防があり、かなり深い池であったことがわかる。池の底は湿地帯になっている。付近の山椿の紅い色が美しかった。さらに進むと、落合家何軒かの墓があった。竹藪に囲まれているが、日の光が差し込んでいた。 

石原谷戸奥の畑地 石原谷戸奥の池の跡

帰り道で、農作業から帰りのご夫婦が車の中から声をかけて下さり、昔話をうかがった。落合氏の菩提寺は、玉縄ではなく横浜市栄区の浄土真宗光明寺で住職は北條さんであること、後北条とのつながりを伝えたいという感じであった。
 関谷インターに戻り、平井家長屋門のある前から桐谷戸に入る。桐谷も全体として保全されていて、農地が続いている。半分ぐらい進むと向かって右側に老人ホームや造成された城山住宅地が現れるが、左側は農地が谷戸の最奥部まで続く。最奥部に池があり、以前は玉縄城跡の清泉女学院から見下ろすことができたそうだが、今はできない。最奥部から池の堤防が見えたが、登って見ることは憚られた。ここで、谷戸の持ち主である小泉家の当主からいろいろ話を聞くことができた。池も含めてこの谷戸全体が小泉家の持ち物なので、遺産相続などで、土地が分割されてマンションができるなどの心配はなさそうであるとのこと。池について、Googleの航空写真で見ると枯れたように見えたが、実際には水が張られており、ポンプアップして農業用水として利用されているとのこと。また、ここでは鎌倉で最後まで残っていた庚申講が行われていたが、数年前に終了し、使用していた掛け軸などは藤沢市村岡の二伝寺で預かってもらっているとのこと。
 ここの小泉家では最先端の無農薬有機栽培を実施しており、その方法についていろいろと説明していただいた。土作りから微弱電波を利用する方法、利用する菌を増やす方法等等。有機栽培についての講座も開いているとのこと。
 桐谷戸の途中まで戻り、城山住宅地を経て、清水小路の谷戸を抜けて藤沢市の旧関谷入口バス停に向かう予定であったが、清水小路に向かう道に迷ったこと、予定時間も過ぎていたことから、城宿バス停から大船に戻り、解散した。

平井家長屋門 桐谷戸の持ち主 小泉家の当主
から話を聞く。