講演::病(やまい)と向き合う
      前立腺がんステージWから如何に生還したか
        人と人との交わり(まじわり)の大切さ


              平成29年2月12日        講師 湘現会会員 堀河勲

 湘現会の「2月度定例会」はいつもの鎌倉芸術館開催が、9月までの改修工事のため「きらら鎌倉学習センター」で、会員2名による講演が予定されご案内されていました。
 ところが、思いがけないアクシデントもあり、今回は私一人で、標題に掲げた内容で2時間近くお話しさせていただくことになり、傍聴者のご期待を裏切らないように苦慮しましたが、皆さんの「温かな支え」によって無事切り抜けられたことを改めて感謝申し上げます。
 私の講演は「前立腺がん」と言う 、男性特有ですが、女性の方々もたくさん来場いただきましたので、私なりに「病と向き合う」姿を赤裸々にお話しすることを主眼にして、原稿などを見直すも、所詮、医療には詳しくない人間の話であり、司会・進行の出口世話人が、ご自分の体験談を交えながら、軽妙なサポートで、「病」にありがちな暗さも払底され、およそ1時間45分にわたって、「告知」を受けてから、「3年2か月の治療」を経つつ、昨年の12月に「経過観察期間」の診断がくだされた経緯をお話しいたしました。
 自分としては、「ひとつのヤマ場」を越えたものと解釈していましたが、広報担当の青野世話人より、「如何に生還」したかのタイトルでご案内され、戸惑いもあったことは事実で、お話しすることで少しでもお役立ちができることは凄く嬉しいことでした。
 「尿漏れ」など異変を感じたのは2010年ごろでしたが、泌尿器科へ行くのには躊躇(ためら)いもあり、ずるずると放置しつつ、前立腺マーカーの「PSA採血」を受診したのは2013年半ば過ぎでした。
 「数値もMAX651」を示し、「管理数値が4,0以下」では100倍以上の、途方もない結果でしたが、ピンと来ず、がん細胞の検査で「針生検(はりせいけん)」を受診、「12本の針を刺し10本のがん細胞付着」「グリソンスコア9,0」「右腸骨転移」など、最悪の数値が続々と出て、「手術はダメ」「放射線もダメ」で、取りあえず「薬服用」で様子見が始まりました。
 担当医からは「なぜいままで放っておいたのか」「このままでは命持たないぞ」とおっしゃられ「余命半年」との「告知」を受けましたが、先生からは「がんでがっくりしてはダメ、治ると思えば治る」と暗示めいた言葉が、今の今でも脳裏に深く刻み込まれ、治療中に苦しいことがあっても、「この言葉」を反芻(はんすう)しながら、流石に先生は良いことを言うな!と思い続けたのも大きな支えでした。
 小さな頃に両親を亡くし、短命家系と思いつつ、「65歳まで命持てばハッピー」と、人生設計を描いていましたので、告知の際も「なったものはしょうがない!」と比較的冷静に受け止めていました。
 リタイアした65歳の時「不器用なパソコンから解放される」と思ったのも束の間(つかのま)、事情があって、パソコン教室に2年半余通う羽目になり、かつ、リタイア後の「オマケ人生」を、テニス&ゴルフでもしながらのんびり過ごそうと、40代半ばで硬式ラケットを初めて握り、暫く休会していたクラブに復帰するも、全日本のベテランランキングの上位入賞者などで活気を呈し、簡単には遊んで貰えず、一念発起して年間150日を目標にコートに足を運び、1000日達成した翌月に、「がん罹病」が判明しました。
 しかしながら、「パソコン&テニス」を、苦しみもがき乍ら、「継続はパワーの源泉」と心の奥深く信じ込み、続けていたのが、今回の治療で「パソコンのインターネット」は、いろんな治療薬や治療方法など隈なく(くまなく)網羅されており、患者の体験談も数百通を閲覧できるなど、主治医の「治療内容」は間違ってないことを確信、一層の信頼関係を築く大きな役割を果たしてくれました。
更には「テニスは健康のバロメーター」と称して、自分自身の体調に併せてプレーも可能など、回復状況がリアルタイムで把握でき、双方ともに、途中で投げ出さず、諦めないでやれたことが、良かったと述懐(じゅっかい)しております。
それ以上に、「人と人との付き合い」が、弱気になりそうな時でも、時宜を得た励ましの言葉でどれだけ元気づけられ、支えられたか数知れず、今年で77歳を迎え、改めて「人と人との付き合い」が「大きな財産」であることを再認識して、残された余生を過ごしたいと思います。 
                  


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